人工器官
パリの「国立自然史博物館」には、膨大な数の動物の骨格の標本が陳列されています。
古代の巨大生物、馬や猿や亀、小さな鳥類や蠕蟷、そして人間の胎児から成人。
その骨格標本を見ていると、たとえば、脊椎動物はそれぞれ骨の大きさや比例が異なってはいても、みんな似たようなものだということがはっきりと理解できます。
小さな動物の骨格を整然と並べた標本を見ていると、微小な生物の身体を支えている構造体もまた、なんと美しく精緻なものであることかと感動してしまいます。
わたしたちがつくりだしてきた道具は、自らの身体を代用し拡張するものだということは、マーシャル・マクルーハンが1960年代に指摘していたことです。
たしかに、乗り物はわたしたちの脚の拡張であり、コンピュータは脳の記憶機能の代用ではあります。
しかし、代用は代用であり本物ではありません。
動物の標本を見れば、いかに代用品で補っても限界があるだろうことがにわかに了解できます。
とはいえ、そうした代用品によってわたしたちは助けられていることも事実です。
たとえば、眼鏡や心臓のペースメーカーなども人工的な身体の器官を代用するもの。
また、人工的な器官の代表的なものに、いわば人工腎臓とでもいうべき「透析器」があります。
これは、身体の内部に組み込むのではなく、外部において、血液の浄化をする装置です。
透析器が動物に試験的に使われたのは1910年のことだといわれています。